会社案内

都心エリアの不動産の売買、高級賃貸物件の仲介はクロスプロパティへ

青山・表参道・外苑前・神宮前地区を中心に30数年独自のネットワークで物件を取り扱ってきました。
東京都心エリアの不動産の売買、高級賃貸物件の未公開物件を多数取り揃えております。
渋谷区、港区のインドアゴルフ、フィットネスジムなど店舗物件の仲介、内装工事等もお任せください。

Company Profile

会社概要

商 号 クロスプロパティ株式会社 (英文:Cross Property Inc.)
所在地 〒151-0051
東京都渋谷区千駄ヶ谷2丁目36番5号 カサチキビル2階
TEL/FAX Tel. 03-3479-1711 (代表)
E-mail info@crosspro.co.jp お問い合わせ>>
代表者 代表取締役 矢延 実康( Jitsuyasu Yanobu )
加盟団体 (公社)全日本不動産協会
(公社)不動産保証協会
登録免許番号 東京都知事免許(4)第89079号
設 立 平成20年2月
資本金 10,000千円
事業内容 売買仲介事業
賃貸仲介事業
賃貸管理
リノベーション事業
買取再販事業
保育園開業サポート事業
宿泊事業管理
インドアゴルフ事業
WEB https://www.crosspro.co.jp


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Business History

事業沿革

1989年 弊社代表者、矢延実康が東京・青山にて不動産業者向けの物件情報データを提供するための個人事務所を開設する。
1991年 弊社代表者がのちに弊社のグループの主軸となるオリエント興産株式会社を設立し宅地建物取引業の免許を取得する。
1994年 東京都港区の青山通り面、旧青山ベルコモンズ前に事務所を移転
2002年 旧三菱銀行青山支店の2階フロアで『青山の不動産情報館』都内初の不動産ギャラリーをオープン
2008年 株式会社不動産情報館(現・クロスプロパティ株式会社)を設立し宅建建物取引業の免許を取得する。
2008年 オリエント興産株式会社の不動産仲介部門を分社化する。
2014年 建物の老朽化に伴い『青山の不動産情報館』終了する。
2014年 旧青山ベルコモンズの解体と同時に本店を渋谷区に移転する。
2015年 会社商号をクロスプロパティ株式会社に変更する。
新宿高層ビル、原宿からの眺望
富士山、神宮前からの眺望
神宮外苑並木通り
オリンピックスタジアム 外苑西通りから
青山通り、外苑前駅より
表参道
六本木ヒルズ、青山公園から
六本木泉ガーデン
新宿高層ビル、原宿からの眺望
富士山、神宮前からの眺望
神宮外苑並木通り
オリンピックスタジアム 外苑西通りから
青山通り、外苑前駅より
表参道
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オリンピックスタジアム 外苑西通りから
青山通り、外苑前駅より
表参道
六本木ヒルズ、青山公園から
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Message from the President

代表挨拶

生活の場の『青山』から仕事場の『青山』へ

青山同潤会アパート今から40年ほど前に原宿の遊歩道(のちのキャットストリート)や青山同潤会アパート(現・表参道ヒルズ)界隈は私の普段の散歩道でした。90年代の不動産バブルよりもだいぶ前の話です。

原宿の商店街は路面の住宅は段々と住まいから店舗に替わろうとしているときでした。
青山同潤会アパートも表参道の路面だけでなく2階もそして裏の住戸も次第に店舗やおしゃれなオフィスになっていきました。
原宿の遊歩道の民家は瓦屋根を残して1階は柱だけ残され店舗化していつの間にか物販店や美容院が連なるファッションストリートに様変わりしてきました。
青山同潤会アパート
私が大学生の頃、不動産会社でのアルバイトで偶然知り合った方から原宿2丁目(現・神宮前3丁目)の原宿団地(正式名称は原宿住宅マンション)をお借りすることが出来ました。
敷金・礼金無しで月額50000円と記憶しております。広さは39㎡で元の間取りは2Kです。

昭和32年の建築で私が当時借りた時にすでに老朽化しており、貸主の方は自分で手直しするなら何をやっても良いということでそこからDIYでリノベーションをするきっかけになりました。

畳を剥がすと床下が朽ち果てて、一旦表面に手を入れれば底まで傷みがあり最終的にはスケルトン状態になり、木部の大部分を解体してレトロな主要パーツを再度組み込んで自分なりにセルフリフォームをしました。
毎週ホームセンターに通い、毎晩コツコツ仕上げました。
これが今の会社のリノベーション事業部の始まりです。

大学を卒業して不動産ディベロッパーに就職し、不動産のビジネスを一から学んでその後に慣れ親しんだ青山(神宮前3丁目)で個人事務所を構えて独立することになります。

新築分譲の会社に就職するも新築物件には全く興味がわかず、当時からビンテージマンションの虜になっておりました。

不動産(Property)はただそれだけが存在するだけでは特段価値を生み出せません。

やがて古くなり価値が下がり躯体は老朽化します。

しかし誰かが手を加えて行けば状態が維持で来たり、リノベーションで当初の価値を倍増することも可能です。
私がしばらく住んでいた原宿団地もたぶん私が住んで手を加えなければ無価値のまま終わったと思います。数年そこに住んでいろいろな雑誌の取材を受けていたらあるときに思わぬ金額で貸してほしいという依頼が来まして貸主の承諾を得て転貸借をして毎月定額の利益を得ることになりました。
青山の当時のランドマークの青山ベルコモンズ
事業が順調に軌道にのり青山通りの青山ベルコモンズの前の商業ビルに移ることが来て、無人の不動産の物件展示スペースを作ることになり、これがいろいろと業界でも話題になりました。
当時の『不動産情報館』という社名はアナログレコードの収集が趣味であった私が昔のレコード店や図書館の図書カードのラックのように不動産情報の図面の板状になってレコードを探すような感覚で不動産を探してもらおうと企画し、その後にギャラリーの名称を商号名にしました。
アナログレコード

その後、時代は急激に変わりインターネットの時代を迎え、紙の媒体の情報が急速に減退しアナログ情報のギャラリーも終了し、弊社も例外なくネット化に進みました。

ミニバブル期から多い時で不動産の営業マンは50名近くなっており、青山地区では当時大手の不動産仲介会社の支店もなく、所帯だけはトップクラスになっておりました。
いつの間にか現場に足を運ぶことなく、ただ報告書や契約書が素通りするだけでとても街づくりを担っているという感触が無くなり、数字を追いかけるだけの単にデスクワークが中心になっておりました。

リーマンショック、東日本大震災を経験して会社の規模はコンパクト化しましたが、
もう一度原点に戻り街場の不動産会社の役割を考えてみようと思っております。

不動産はその活用の仕方で本体の価値が大きく変わります。
または多くの人がその不動産をいろいろな角度から利用価値を見つけて互いに交わり掛け合わせることで新たな価値を生みだすことを忘れかけておりました。

不動産をいくつものアイデアを掛け合わせてより高い資産活用をすることを念頭に置いて弊社の新商号としました。クロス(掛け合わせる)プロパティ(物件的な資産と人的な財産)。

40年前の不動産に対する愛着と熱意を変わらず持ち続け、これからも常に斬新なアイデアを提供して行きたいと思っております。

代表取締役 矢延実康

Profile

プロフィール

代表取締役 矢延実康
Jitsuyasu Yanobu

矢延 実康
昭和39年(1964年)東京生まれ

幼少期から高校まで広島県内の瀬戸内で過ごし、大学進学で再び東京に戻る。

明治学院大学経済学部を卒業後、中堅不動産ディベロッパーを経て1989年(平成元年)に東京・青山で不動産事務所を開設し現在に至る。

1992年から4年間、第一東京弁護士会所属の法律事務所内に専用デスクを置いて不動産と法律の業務を兼業する。

1998年から3年間、所属の不動産協会の定期法定講習の専任講師を務める。

2003年から7年間NHKのニュースウオッチ9、日本テレビのNews Zero、テレビ朝日の報道ステーション、テレビ東京のWBSのリポーターとして不動産の現場取材やコメンテーターとしてスタジオで解説をする。

趣味はクレー射撃 1998年クレー射撃プロアマトーナメントで優勝 第61回東京都民体育大会クレー射撃競技3位、第62回同競技にて準優勝
東京銃砲安全協会連合会会員 JCAB自家用飛行機操縦士 JCAB自家用回転翼(ヘリコプター)操縦士 FAA自家用双発飛行機操縦士 FAA計器飛行証明取得 一級小型船舶操縦士 航空通信士
日本赤十字社直轄団体の赤十字飛行隊隊員として災害救護支援、血液・臓器の緊急輸送などの緊急出動に待機する。